んで、この2作について

前にも書きましたが、S&Mシリーズ全体の傾向として、推理ものとしては特筆すべきものはないようにも思うのです。
それよりも、犀川と萌絵をはじめとしたキャラクターの織り成す物語を楽しむほうが楽しめる。事件と謎解きはむしろスパイスです。シリーズを通して軽視されていると言われる「犯行動機」、こういうものを含めて人の心の動きを追っていくほうがむしろ楽しめる印象です。


とは言うものの「ミステリ」カテゴリなんでそっちのほうにも言及すると……
幻惑の死と使途」のほうは死体消失の事件で「む?」と思いました。本来、その「む」と思った感覚を深化させていくのがおそらく本来の推理小説の醍醐味なのですが、私の場合、森博嗣作品ではなぜかあまりそういう気分が起こらない。まあいろいろとやりようはあるだろう、と考えてしまうようです。これはトリックがつまらないからなのか、トリック以上に面白い要素があるからなのか、登場人物の誰かの考え方の影響を受けているのか、実は森博嗣氏の考え方の影響を受けているのか、理由は良くわかりません。作品自体がつまらなければこのシリーズをこんなに読み進めたりはしないので、そういうことでないのは確かなのですが。
夏のレプリカ」のほうは騙されました。ちょっと違和感を感じた部分もありますが、電話の場面で完全に騙されました。どう騙してくれたのか、はネタバレなので書きませんが。うーん、ミステリはこういう方向に向かうしかないのか。


それにしても森博嗣氏、いろいろ小技を使います。
目次を見ればわかることですが、前者は奇数章のみ、後者は偶数章のみで構成されています。一応、2つあわせると時系列に並ぶことになっていますが、物語自体はほとんど独立しています。
で、この仕掛けに何か意味があるかというと、……私はあまりたいした意味を見出せませんでした。何かあります?
あえて言うなら、奇数章「幻惑の死と使途」は計算された奇想天外がテーマに、偶数章「夏のレプリカ」はいくつかの偶然がテーマに組み込まれている……というのはあるかな。


などと思ってたら、「夏のレプリカ」で、同時進行の「幻惑の死と使途」の犯人について犀川の言及があるようで!? 確認して、詳細はまた後日。


その他、思ったことを適当に。

  • 当初、ミステリーというコンテキストでは出来の良いワトソン役だった萌絵。探偵役として成長してます。
  • 巻末解説の人選が……。「はじめて森氏の作品を読みました」というのは構いませんが、「該当作品しか読んでない」という状態で書かれたあとがきは面白くない。せめてシリーズ最初から読んでほしいと思います。

で、この次の作品も既に読み終わってますが、コメント書くのは今日はここまで。