工学部・水柿助教授の日常

工学部・水柿助教授の日常 (幻冬舎文庫)

工学部・水柿助教授の日常 (幻冬舎文庫)

エッセイのような小説のふりをしたエッセイ。
元々エッセイの類はそれほど好きというわけでもないのであまり期待していませんでしたが、結構楽しく読めました。
って、読んだのは少し前の話で、感想書くのを私がさぼっていたため細かいことを忘れてたりもするのですが。


何気ない事象が、ちょっと切り口を変えただけで/一部の事実が見えなくなっただけで、ミステリっぽい様相を示すようになっていく……というような意味の記述があったように記憶しています。全くその通りだと思うわけで。
理系人間でうなずける人は多いのではなかろうか。


突然ですが、叙述トリックは、そういう状況を「無理矢理」作り出してる感があると思うのです。否定するわけではないし、実際私が「面白かった」などと書いてるゲームの中にもそうした叙述トリックがポイントになってるものもあるのですが、ミステリを標榜する作品でこれをやられると私の側の温度が多少下がります。


そんな私ですが、むかしむかし、最初に有名なこの古典ミステリを読んだときには素直に凄いと思いました。


ところで、この本には「数学的な間違いが1つある」そうです。
ぶっちゃけ、「ここでしょう!」と自信を持って指摘することは私にはできそうにありません。なんのことを言っているのでしょうかね?
「1つだけ言及したい」と言いながら2つ以上(というように私には読める)言及したりしていることを指しているのか?
ちょっと気になるのは「オロナミンC小さな巨人」のあたり。「巨人は大きなオロナミンC」という命題は対偶ではないが逆でもないのではなかろうか、と思う次第。逆は「小さな巨人オロナミンC」であって、ここから「巨人は大きなオロナミンC」と繋ぐには、「大きな『小さな巨人』は(普通の)巨人」という命題を認める必要があるはずだ。これはこれで間違っていないような気もしなくもないが、まじめに考えると「そもそも小さな巨人って何よ」というすごくつまらない疑問にぶち当たってしまうので、まああまり深くは考えないことにします。


そもそも「数学的な間違いが1つある」という文章自体が間違いである可能性も捨てられません。この文章以外に数学的な間違いは0個という可能性もありますね。同様に2つ以上だっておかしくない。てことは、こういう文章は考えても意味がないということですよ(と、考えてから言ってみるテスト)。