不老不死

人間という連環種でありながら、不完全ながらも不老不死に近づいた彼らにとって最大の敵は "退屈" だったの。

分かるような気がする。


例えば自分だけが不老不死になって、親しかった周りの者が次々に老いて亡くなっていくのを見送る羽目になったとする。
人の精神はどうなるだろう。
誰とも同じ時を歩むことができないという事実に精神は摩耗していかないか。
その人には次々に友人や恋人との新しい出会いがあるかも知れないが、その出会いの感動は相対的に薄れていかないか。


そんなものを克服してしまうと、あるいは摩耗しきってしまうと、次に来るのは退屈なのだろう、と思った。


アルクェイドのエンディングに思いを馳せてみる。
アルクェイドは、克服するも何も、最初からそんなことは考えない生命体だった。もともと吸血種は「種」としての仲間意識が薄いものだし、アルクの場合は特に、誰かを倒すためだけに目覚めて再び眠るというだけの生命だったから。
その彼女が志貴とともにいることに幸せを感じるようになったとき、やはり物語として自然なのはトゥルーエンドの方なのだろうなぁ、と思った。
グッドエンドのほうでは、何年か何十年かあと、志貴も吸血種にならないと2人の関係は破綻するのではなかろうか。
そのとき、「好きだから、吸わない」とまで考えるアルクの心の行き場はどこになるのだろう。


ふと、某ゲームでキュレイウィルスに感染した彼女が感じた絶望のことを思い出しました。