完全数と聖書

「今じゃ第七なんていう、完全数の席にいる代行者よ」

数学的な意味では完全数は6。その約数である1,2,3を全て足すとやっぱり6になる数字。6以外には28(=1+2+4+7+14)とかありますが、詳細は余所に譲ります。
で、創世記において神が6日間かけて世界を創り給うたのは、6が完全数だからであるという話があります。そして、7日目にはお休みになったと。これが1週間のもとになったと。


一方で、聖書的な意味では7が完全数、という話もあるようです。上のアルクのセリフはこちらの話をもとにしている模様。


……って、創世記だって聖書だし、どゆこと? 新約聖書旧約聖書で違うの?


などと疑問に思ってちょっと調べてみたのですが、「ちょっと調べる」程度で簡単にカタが付くようなものでもないようです。が、やはり聖書の中で完全数として扱われているのは7とか70とかの数字の方みたいですね。
数学的完全数である6や28を聖書の中で意味づけようというのは、どちらかというと後付けの研究によるものっぽい。紀元前6世紀に数学的完全数を発見したピタゴラス自身が天地創造の6日+1日とどのように結びつけて考えていたのかはよく分かりませんでした。

ただ、7という数字は、たしかに完全数だ。


数字の中でも孤立した数字。
孤独で、行き場のない数字。

志貴は聖書における完全数なんてのをよく知ってましたね……。
ところで、「孤立した数字」のくだり。「すべてがFになる」で真賀田四季博士が同じようなことを言っていました。


……ん? 四季? あれれ?